黒人音楽のルーツを訪ねて


~ Blues の Memphis と Jazz の New Orlenas ~

04.Memphis(メンフィス)

 卒業式の翌日から旅行に出掛けました。普通、日本から来ている留学生の両親は、ラスベガスとか西海岸に寄って帰る家族が多いらしいのですが、せっかくテキサスまで来たのだからアメリカ南部を廻らない手はありません。

 南部の定義もいろいろあって、一般的には南軍として南北戦争を戦った11州(バージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、テネシー、ジョージア、フロリダ、アラバマ、ミシシッピー、アーカンソー、ルイジアナ、テキサス)を指す場合が多いらしいのです。その中でもジョージア、アラバマ、ミシシッピー、アーカンソー、ルイジアナは Deep Southと呼ばれ、黒人が多くて南部の雰囲気を色濃く残している所だと言います。

 初日はウチタ・フォルズ(テキサス州)→オクラホマシティ(オクラホマ州)→リトルロック(アーカンソー州)→メンフィス(テネシー州)までの約600マイル(約1,000km)を行く旅程です。10時間以上掛かりそうなので、朝5時に起き、薄暗い中を出発しました。


 『冬は朝』と清少納言が言いましたが、テキサスの冬の朝も趣があります。朝靄のかかる牧場に薄っすらと霜が降りて、見渡す限りの草原です。日本では地平線が見れる場所もないのに比べれば、やはりスケールが違います。夫はJames TaylorのCountry Roadを聴きながらご機嫌な気分で運転しています。


【冬の牧場】

 メンフィスには午後4時頃に着き、185 Union Ave. にあるRadisson Hotel Memphisにチェックインしました。

 部屋で一休みしてから、いよいよブルースの発祥の地であるBeale St.(ビール・ストリート)に繰り出しました。かっては黒人だけが集まる繁華街で、W.C.ハンディはここでセントルイス・ブルースを作曲したと言います。

 通りに並ぶほとんどの店がライブハウスです。その夜は2件の店をハシゴし、メンフィスのブルースを堪能しました。(夫はシカゴ・ブルースとメンフィスのブルースを比べると、メンフィスのブルースには発祥地の泥臭さがあると言います。メンフィスで生まれ、時代と共にミシシッピー川を遡り、シカゴ着いた頃には少しは洗練されたブルースになったのでしょう。)

【B.B.King's Blues Club、Hard Rock Cafe、King's Palace Cafe】

 翌日の午前中はトローリバスに乗ってメンフィス市内を見物しました。

【トロリーバスにて】

 その後、有名なエルビス・プレスリーが住んでいたグレースランドに行きました。そこにはエルビスに関係した物がいろいろ展示されていて、エルビスの部屋も公開されていましたが、部屋の調度品の中にはおそらく当時は高級品だったと思われるプラスチック製品も多く使われており、時代による価値観の差を感じました。
 母親に贈ったと言われているピンクのキャデラックも展示されていましたし、エルビスのお墓にはその日もお花が手向けられていました。


【グレースランド、キラキラの衣装、ピンクのキャデラック、エルビスのお墓】

 それからギブソン・ギター工場の敷地内にあるロック・ソウル博物館と、エルビスが始めてレコーディングしたサン・スタジオに行きました。(サン・スタジオのサム・フィリップスは黒人の様にロックンロールを歌える白人がいたら金儲けができると考えていて、そこにエルビスが現れたそうです。)

【サン・スタジオにて】

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